大正初期といいますから、今より90年以上も以前の事かと
思われますが、上山町(当時は市でなく、町でした)の商店でも売り出している店は少なかったようです。
むしろなかったではないかと思われます。
民話的なところもありますが、ある年大豊作で大量に生産されてしまったそうです。
上山町付近だけでは売り切れない。
それで百姓親父が旧正月ごろ大変な大雪のある日、
ミノを着て、ワラジ履きで箱にドツサリ重い程干柿を背負って、上山町から赤湯町(南陽市)に売りに出かけたんだそうです。
しかし吹雪となり、だんだん暗くなるのであるが、持ってた弁当は一食だけ。
柿はさっぱり売れないので重い柿を背負っ
たまま、上山への戻道にかかり中山村はずれ項にきたら、ワラジは雪にぬれて足が凍る程冷たくなり、一歩一歩か非常に苦労と
なり困っていると、向うの方、つまり上山町の方からフラフラ
とよろめきながら歩いてくる一人のおやじがあった。
あれ・・・・どうしたことだろうと見ているうちに向い合ってしまった。
「おいどうしたんだ」と聞くと、声も切れ切れに「腹がへって歩け動けないんだ」という。
赤湯町附近の百姓でナンパン粉売だということです。
名物「石焼ナンバソ」、これも豊作て多量のため安いし売れないから、上山方面に売りにきての帰りだという。
「しかも不景気でさっぱり売れないが、メシの変りにならなくて腹へって歩けないだ」といっただと。
ほだら関根柿食って一時しのぎしたらよかんべえというて上山の人が柿を食わせたら、「腹いっぱいになり元気が出て赤湯まで帰られるなあ、いやありがとう、ありがとう」。
ときに上山の人、なんしてその足パタパタしているんだと聞かれ、
実はワラジが今朝から歩き通しで凍りつく程ぬれだんで、冷
たくて冷たくてといったら、赤湯の人が石焼ナンバンをどつ
さり出して、これワラジの先さ入れろ。そうするとポカポカ
とほてってワラジ漏れたのなんかなんでもないというて、
入れてもらいましたら、まったくポカポカとほでで、柿が弁
当になり、ナンパンがワラジとなって難なく帰宅したという
当時はまだ、上山市近隣での消費だったようです。
どんなにおいしくても、消費者が少なければ値段はあがりません。
さぞ大変だったことでしょう。
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