山形県上山市名産 紅柿
紅柿
紅柿 .をつくって50年。山形県上山市の老舗農家が、ご案内します。
 

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三〇〇年も昔、鳥が種を運ぶ

「紅柿」は上山市周辺の名産であり、干柿の中でも関根柿 を原料としたものに限って、そう呼ばれる。

この関根柿の名は、当地区関根部落にちなむが、次のよう な由来がある。

紅柿(関根柿)の由来書

上関根村久右衛門なるもの姓は川口也旧家にして苑中に柿 の樹数十章あり美味にして名を紅柿と云う。

数代前の久右衛門と云う者折ふし園中の溝を深うしさらへけるに暫くして 其埃土の中より生しける何れより種を博飛来ると云う事も なく自然にはいけるとなむ。

然あるより以来苑中次第に殖渉 りて年歳々に繁茂し数百家に及ひ今は近郷他邦迄も樹芸す るに至り其名大に響き渡りける事也

はた年秋に至り数百万の取実有りて其利を得莫大の潤ひとな り耕作の外生産となり村中賑ふ事限りなくして其恩を報し 謝する所を知らされるに到るそもそも久右衛門と申は祖先 は何れの産なるや由緒詳ならすといへとも近郷に川口と云 う村あり是其因て出る所ならむそれ故に姓を川口と云るな るへし…(以下省略)
,(関根川口敏氏所蔵掛軸)

この掛軸の写しが上山市歴史資料館にあるので、正しく 考証されるときはご覧になるがよい。
現在、本庄の干柿生産は関根と、隣の部落の相生が中心で あり、相生の熱心な農家武田善一さん(七一)の講釈によると、 次のようなことである。



「三〇〇年も昔、名主川口久右衛門の家で、鳥が種をくわえて きて出た柿が大変うまかったので、城主に献上したところ喜 ばれ、家老が"干柿"と命名してくれたと伝えられる」

なるほど、この辺にある農家の屋敷のまわりや畑の隅には、 樹齢一〇〇年以上のカキの木がたくさんある。あくまで園地 ではなくて、散在樹である。


「昔は干柿にもしたが、湯抜きをして、上山の街をまわって売 り歩いた」のである。

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